ヨブ記8章

8:1 次に、シュアハ人ビルダデが答えた。

8:2 いつまで、あなたはこのようなことを語るのか。あなたが口にすることばは激しい風だ。

 言葉を「風」と表現しているのは、言葉は、教えであるからです。それは、霊の働きであり、風と例えているのです。ヨブの教えは、他の人の考えを吹き飛ばすような内容なのです。

 ビルダデにとっては、ヨブの考えは、全く受け入れられませんでした。ヨブが語っていることを理解できないのです。それは、ビルダでを初めとする友たちの霊的な理解力の低さにあります。神についての正しい知識を持っています。それに基づいて語っているので、その内容は正しいのです。しかし、しかし、ヨブが直面している霊的な状況について理解することができないのです。彼らは、ヨブほどには、完全でないし、ヨブほどの霊的な経験がないからです。最初にエリファズが語ったように、罪を犯した場合の判断基準は正しいのです。人は罪人であり、神の懲らしめを受けているのだから悔い改めよというものです。しかし、神が自慢するほどに高度な信仰の歩みを経験している人が、なお、試みられることについて理解できないのです。彼らには、神に称賛されるほどの高度な歩みの経験がないからです。自分たちの霊的に低い状態での判断しかできないのです。

 例えば、肉を殺して歩むという経験のない人に、御霊によって満たされることは理解できません。自分が経験しないことを理解できないのです。人の持つ罪深さとか弱さに目を留めて、人とはそのようなものだと考えるのです。そして、聖霊によって歩むことが正常なクリスチャンの姿であることを忘れています。あるいは、そのようなことは不可能だというのです。御霊によって歩むことで神の御心を行うことができると信じないのです。

8:3 神がさばきを曲げられるだろうか。全能者が義を曲げられるだろうか。

 彼の判断基準でヨブを諭しています。ヨブの状態を見て、それが神の裁きの結果であると結論づけています。その裁きとは、彼が罪を犯した結果このような災難を受けているというものです。神がそのような裁きを曲げられることはないというものです。

8:4 もし、あなたの子らが神の前に罪ある者となり、神が彼らをその背きの手に渡されても、

→「もし、あなたの子らが神に対して罪を犯してしまい、神が罪の中で放り出したとしても、」

8:5 もし、あなたが熱心に神に求め、全能者にあわれみを乞うなら、

8:6 もし、あなたが純粋で真っ直ぐなら、今すぐ神はあなたのために奮い立ち、あなたの義の住まいを回復されるだろう。

 ヨブの子たちが罪ある者となったので、彼らの死がもたらされたという考えに立っています。そして、その責任は、ヨブにもあるとしています。「あなたが純粋で真っ直ぐなら」と言っています。ヨブの悪のためである考えています。

 神がヨブの子を罪ある者とし、罪の中ですなわち罪ある者として放り出されても(送り出すの強意語幹)、ヨブが神に熱心に求め、全てをなすことができる全能者が契約に基づいて喜んで答えてくださることを乞うならば、今すぐ、神が奮い立たれ、ヨブの家に義をもたらし、回復してくださると。なお、この「あわれみ」は、同情ではありません。

・「あわれみを乞う」→懇願する。ヒトゥパエルすなわち回帰、強意語幹。(主が)求めに対し喜んで答えること。このことは、御言葉に根拠がある。契約の条項です。

8:7 あなたの始まりは小さくても、あなたの終わりは、きわめて大きなものとなる。

 そして、その回復のはじめは、小さくても、その繁栄は、極めて大きなものとなると。

8:8 さあ、先人に尋ねよ。先祖たちの探究したことを確かめよ。

 そして、その論拠は、先人や先祖たちが探求した結果として明らかであるというものです。

8:9 (なぜならば)私たちは昨日からの者で、何も知らない。(なぜならば)私たちの地上の日々は影にすぎないのだ。

8:10 彼らはあなたに教え、あなたに語りかけ、その心からことばを発しないだろうか。

 その理由は、自分たちの地上での経験は、僅かなもので何も知らないのだと。それは、「影」に過ぎないのだと。

 自分たちの考えは、霊的なことがらを理解するには、不十分であるというのです。それで、彼は、先人の教えを引き合いに出しています。しかし、かつてヨブほどの人がどれだけいたでしょうか。彼が頼った先人の教えは、ヨブのことを正しく判断することはできませんでした。先人の教えに基づく判断が正しいとは限らないのです。先人も高度な霊的経験をしていないからです。

 私たちは、自分で聖書に向き合い、自分の霊的経験について判断しないことがあります。先人や先輩の意見の受け売りであったりするのです。正しい教えもありますし、正しい判断もあります。そうでない場合もあります。御言葉が正しく教えるとおりを実践することが大切です。

 

8:11 パピルスは沼地がなくても育つだろうか。葦は水がなくても伸びるだろうか。

8:12 まだ若芽のときに、引き抜かれもしないのに、ほかの草に先立って枯れる。

8:13 すべて神を忘れる者の道はこのようだ。神を敬わない者の望みは消え失せる。

 パピルスや葦は、水のある場所で育ちます。しかし、若芽の時に枯れます。それは、次第に乾燥が強まり水がなくなるからです。他の植物が育つ環境でも、成長することができないのです。それは、ちょうど神の忘れた者のようです。水は、御言葉の比喩です。神を忘れる者あるいは敬わない者は、繁栄するはずの時に、枯れていくのです。彼が望みとしていた繁栄は失せるのです。

8:14 その人の確信は、か細いクモの糸、その信頼はクモの巣だ。

 その人が良いとしている確信は、蜘蛛の糸のようにか細く頼りないのです。

8:15 自分の家に寄りかかると、家はそれに耐えきれない。これにすがりついても、それは持ちこたえない。

 そして、彼の家がそれを支えるわけではないのです。頼りにしても持ちこたえないのです。

8:16 神を敬わない者は日に当たって青々と茂り、その若枝は庭に生え出る。

8:17 その根は石塚に絡まり、石造りの家に生え広がる。

8:18 しかし、彼がその場所から取り除かれるなら、その場所は、彼を見たことがない、とうそぶく。

 神を敬わない者は、若枝のように繁茂します。しかし、それが取り除かれた時、忘れ去られるのです。その繁栄は、全く空しくなるのです。

8:19 見よ、これこそが彼の道の喜びである。その土からは、ほかのものが生え出る。

 彼が繁栄している時に経験するだけのむなしい喜びなのです。彼に代わり、他のものが繁栄します。

8:20 見よ。神は誠実な人を退けることはなく、悪を行う者の手を取ることはない。

 神は、「誠実な人→全き人」を退けることはありません。逆に、悪を行う者の手を取り、導くことはないと。

8:21 神は、ついには笑いをあなたの口に、喜びの叫びをあなたの唇に満たされる。

 神は、口に笑いを、また、喜びの叫びを満たされます。

8:22 あなたを憎む者は恥を身にまとい、悪しき者の天幕はなくなる。

 逆に、全き者を憎む者は、恥を身にまといます。彼は、自分の考えから、神の言葉に従う者を憎むのです。それによって彼が誉を受けることはありません。却って恥を着物のように外に現すのです。悪き者の天幕は、なくなります。天幕は、彼の繁栄を表しています。